2026年9月24日、キリンチャレンジカップ2026・ウルグアイ代表戦。
1-1で迎えた後半アディショナルタイム、日本代表に勝利をもたらしたのは21歳のFW塩貝健人だった。
83分から途中出場すると、90+1分に上田綺世との連係から最終ラインを突破。GKとの1対1を仕留め、待望のA代表初ゴールを記録した。
日本はその後、上田にもゴールが生まれて3-1で勝利。塩貝の一撃が決勝点となった。
ただし、このゴールは代表デビュー戦で生まれたものではない。
塩貝は2026年3月28日のスコットランド代表戦ですでにA代表デビューを果たしており、その試合では途中出場から伊東純也の決勝点をアシスト。ウルグアイ戦はA代表4試合目で、そこで初めて日の丸を背負ってゴールネットを揺らした。
高校、大学、Jリーグ、オランダ、ドイツ、そして日本代表。
数年間で猛烈なスピードで階段を駆け上がっている塩貝健人とは、いったいどんな選手なのか。
今回はその経歴、プレースタイル、人間性、代表初ゴール、そして今後の日本代表での立ち位置まで深掘りする。
塩貝健人とは?
2005年生まれ、東京都出身のストライカー
塩貝健人は2005年3月26日生まれ、東京都出身。
身長180cm、体重77kg。現在はドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクに所属している。
育成年代ではバディSC江東、横浜FCジュニアユースを経て國學院大學久我山高校へ進学。その後は慶應義塾大学へ進んだ。
現在の姿だけを見ると、若くして欧州5大リーグに到達したエリートに見える。
しかし、そのキャリアは最初から順風満帆だったわけではない。
横浜FCジュニアユースで味わった挫折
ユース昇格をつかめず國學院久我山へ
中学生時代は横浜FCジュニアユースに所属。
しかし思うように試合へ絡めず、中学3年時には下の学年のチームでプレーすることもあった。
本人は当時について強い悔しさを感じていたと振り返っており、自身を「負けず嫌い」と表現している。
そして横浜FCユースへの昇格はかなわず、國學院久我山高校へ進学した。
この挫折が、その後の塩貝を作る大きな原動力になった。
國學院久我山高校でストライカーとして成長
高校でも最初から主役ではなかった
國學院久我山でも、高校1年時からいきなりトップチームの中心だったわけではない。
当初は下位カテゴリーからのスタート。
それでもフィジカルを鍛え、スピードとシュート能力を伸ばしながら、徐々に評価を高めていった。
高校3年時には全国高校サッカー選手権東京都大会で8得点を記録し、國學院久我山の全国大会出場に大きく貢献。
全国大会でも得点を奪い、ストライカーとして注目される存在になった。
慶應義塾大学へ進学
サッカーだけでなく大学進学を選択
高校卒業後、塩貝が選んだのはプロ入りではなく慶應義塾大学だった。
大学では早い段階から中心選手となり、ストライカーとして急速に評価を高めていく。
当時はサイドアタッカーとして評価するJクラブもあったが、慶應大の中町公祐監督は塩貝をセンターフォワードとして育成。
「得点を奪い、チームを勝たせる選手」になることを求めた。
現在の塩貝を考えると、この時期に「ストライカーとして生きる」という方向性が明確になったことは非常に大きい。
横浜F・マリノスでJリーグデビュー
大学1年で加入内定&特別指定選手
2024年1月、横浜F・マリノスは慶應義塾大学の塩貝について、2027シーズンからの加入内定を発表した。
同時にJFA・Jリーグ特別指定選手となり、大学に在籍しながらJ1のピッチへ立つことになる。
2024年は横浜F・マリノスでJ1リーグ7試合に出場し1得点。
4月13日の湘南ベルマーレ戦でJリーグ初ゴールを記録した。
大学生ながら、日本トップレベルで得点を奪えることを証明した。
2024年夏、予定を変えて欧州へ
横浜FM加入内定を解除してNECナイメヘンへ
塩貝のキャリアを大きく変えたのが2024年夏だった。
当初は大学卒業後の2027年に横浜F・マリノスへ正式加入する予定だった。
しかし、海外挑戦のチャンスが訪れる。
塩貝は横浜FMへの加入内定と特別指定選手認定を解除し、大学サッカーからも離れてオランダへ渡る道を選択した。
加入先はエールディヴィジのNECナイメヘン。
将来がある程度約束されていた日本でのルートを手放し、海外へ飛び込んだ決断だった。
NECナイメヘンで発揮した「短時間でも決める力」
スーパーサブとして得点を量産
オランダで塩貝が示した最大の特徴が決定力だった。
特に途中出場からゴールを奪う能力が際立った。
2025年には途中出場から11得点を記録し、Optaのデータではエールディヴィジ史上でも特筆すべき数字となったと報じられている。
2025-26シーズン前半も公式戦14試合9得点。
限られた出場時間でもゴールという結果を残し続け、その活躍がさらに上のステージへの扉を開いた。
2026年1月、ヴォルフスブルクへ
20歳で欧州5大リーグ到達
2026年1月20日、VfLヴォルフスブルクが塩貝の獲得を正式発表。
契約は2030年6月30日までで、背番号は「7」。
クラブは塩貝について、スピード、強度、積極的なプレッシングを高く評価している。
慶應大から欧州へ渡って約1年半。
20歳でブンデスリーガまでたどり着いた。
2月21日のアウクスブルク戦では途中出場からブンデスリーガでゴールも記録。
欧州トップレベルでも得点能力を見せ始めた。
2026年3月、日本代表初招集
スコットランド戦でA代表デビュー
欧州での活躍が評価され、2026年3月にA代表へ初招集。
3月28日のスコットランド戦で途中出場し、日本代表デビューを果たした。
すると投入から間もなく結果を出す。
ゴール前でボールを収め、伊東純也へパス。これが決勝ゴールにつながった。
代表初出場でいきなりアシスト。
NEC時代から得意としていた「短時間で結果を残す力」を、日本代表でも発揮した。
塩貝健人のプレースタイル
最大の武器はゴールへの執着
塩貝を最も分かりやすく表現するなら、「ストライカー」だろう。
パスを回してゲームを作ることよりも、最後にゴールを奪うことを自分の仕事として強く意識している。
本人もインタビューで、FWである以上は得点王を目指すことを当然の目標として語っている。
この強烈な得点への意識こそ、塩貝最大の特徴だ。
スピードを生かした裏への抜け出し
塩貝は180cm、77kgと一定のサイズを持ちながらスピードもある。
相手DFと横並びになった状態から、一気に背後へ出られる。
ウルグアイ戦での代表初ゴールもまさにこの形だった。
上田綺世へボールを預けた直後に迷わず最終ラインの裏へスプリント。
パスを受けてGKとの1対1まで持ち込んだ。
前線からのプレッシング
ヴォルフスブルクが加入時に高く評価した要素の一つが、強度の高いプレッシングだ。
単にゴール前で待っているFWではない。
相手CBへ圧力を掛け、ボールを奪うきっかけを作ることができる。
現代の日本代表1トップには守備時の役割も求められるため、この能力は大きな武器になる。
塩貝健人はどんな性格?
とにかく「負けず嫌い」
塩貝の人間性を語るうえで、何度も登場する言葉が「負けず嫌い」だ。
本人が大学時代に記した文章では、サッカーだけでなく、友人とのスマートフォンゲームで負けても悔しさを表に出してしまうほどだったという。
横浜FCジュニアユースで試合に出られなかった経験も、「見返したい」というエネルギーに変えてきた。
塩貝の急激な成長を支えているのは、技術やフィジカルだけではなく、この競争心なのだろう。
「ビッグマウス」ではなく率直?
塩貝は強気な発言でも注目される。
「代表で1番手を狙う」「自分ならできる」。
そうした発言だけを見ると、いわゆる“ビッグマウス”という印象を持たれるかもしれない。
しかし本人は、自分を特別に大きく見せようとしているわけではなく、先発したいのであればそう口にするのは自然だというスタンスを示している。
つまり、発言の根底にあるのは演出されたキャラクターというより、かなり率直な自己表現だ。
上田綺世が語る「サッカーにおいてはピュア」
ウルグアイ戦後、上田綺世も塩貝について言及した。
上田は塩貝の強い向上心について、海外の若手では珍しいものではないとしたうえで、塩貝を「サッカーにおいてはピュア」な選手として評価。
さまざまなものを吸収し、自分自身が成長するために取り組んでいるように感じると語っている。
先輩FWから見ても、強気な表面の内側にあるのは純粋な向上心なのだろう。
練習でも最後までシュートを打つ
その姿勢は言葉だけではない。
代表活動中の取材では、全体練習後もシュート練習を続け、最後までピッチに残る姿が報じられている。
ウォーミングアップやミニゲームでも高い強度で取り組み、得点することへのこだわりを練習から見せている。
「点を取りたい」という言葉を、日々の練習でも行動に移す。
そこも塩貝の魅力だ。
ウルグアイ戦|待望の代表初ゴール
83分、中村敬斗に代わって出場
日本とウルグアイの試合は、終盤まで1-1。
森保一監督が最後の攻撃カードとして投入したのが塩貝だった。
83分、中村敬斗に代わってピッチへ。
残された時間は10分ほど。
しかし、短い出場時間で結果を残してきた塩貝にとっては十分だった。
90+1分、伊東→塩貝→上田→塩貝
決勝ゴールは美しい連係から生まれた。
伊東純也が右から展開。
塩貝がボールを受けると、ワンタッチで上田綺世へ預け、その瞬間に前方へ走り出した。
上田はその動きを見逃さない。
ペナルティーエリア方向へ絶妙なスルーパス。
抜け出した塩貝がGKとの1対1を制してネットを揺らした。
日本2-1ウルグアイ。
塩貝健人、A代表4試合目での初ゴール。
そしてその一撃が、日本を勝利へ導く決勝点となった。
「点を取って勝たせられた」
ゴール後、塩貝は長く得点できていなかった時期に触れながら、少ない時間でも得点し、チームを勝たせられたことを喜んだ。
一方で、そこで満足する姿勢はない。
今後はさらにゴールを量産したいという意欲を示した。
まさにストライカーらしい反応だった。
日本代表での今後の立ち位置
上田綺世への挑戦者
現在の日本代表でセンターフォワードの中心にいるのは上田綺世だ。
ウルグアイ戦でも途中出場から塩貝のゴールをアシストし、自身も3点目を記録した。
塩貝が代表で主力をつかむためには、この上田とのポジション争いを避けることはできない。
本人も以前から「1番手」を狙う姿勢を隠していない。
代表初ゴールを決めたからといって、序列が一気に変わるわけではない。
しかし、競争へ本格的に加わるための大きな一歩になったことは確かだ。
「ジョーカー」としてはすでに大きな武器
一方、途中出場から試合を変える能力については非常に興味深い。
NEC時代から短時間で得点を奪ってきた。
そして代表デビュー戦では途中出場からアシスト。
ウルグアイ戦では83分から登場して90+1分に決勝ゴール。
試合終盤、相手DFが疲れた時間帯にスピードとゴールへの執着を持つ塩貝を投入する。
これは日本代表にとって非常に強力なカードになり得る。
本人が目指すのは「スーパーサブ」ではない
ただし、本人自身が途中出場専門で満足するとは考えにくい。
実際、塩貝は以前から先発や1番手を目指す姿勢を公言してきた。
上田との競争に勝ち、1トップの先発へ。
そこを本気で狙うからこそ、代表全体の競争も激しくなる。
21歳、まだキャリアは始まったばかり
塩貝のキャリアを振り返ると、そのスピードには驚かされる。
横浜FCジュニアユースで昇格できなかった少年が、國學院久我山を経て慶應義塾大学へ。
大学在籍中にJ1デビュー。
そこから予定されていた国内キャリアを変更してオランダへ渡った。
NECで得点を量産し、2026年1月にはブンデスリーガのヴォルフスブルクへ。
3月にはA代表デビュー。
そして9月、ウルグアイを相手に代表初ゴール。
数年前には想像もできなかった場所へ、猛烈な勢いで駆け上がっている。
まとめ|塩貝健人の物語はここから
1-1の後半アディショナルタイム。
上田綺世へボールを預ける。
その瞬間、塩貝健人は迷わずゴールへ走った。
自分のところへもう一度ボールが返ってくると信じていたかのように。
そして訪れたGKとの1対1を仕留めた。
あの数秒には、塩貝というストライカーの特徴が凝縮されていた。
ゴールへ向かう意識。
裏へ抜けるスピード。
そして最後に自分が決めるという自信。
強気な言葉が注目されることもある。
誤解されることもあるかもしれない。
それでも、その自信を本物にする唯一の方法はピッチで結果を残すことだ。
ウルグアイ戦では、それをゴールという最も分かりやすい形で証明した。
上田綺世から日本代表の1トップを奪えるのか。
ヴォルフスブルクでさらに多くのゴールを奪えるのか。
そして日本を勝たせるストライカーになれるのか。
21歳。
塩貝健人のキャリアは、まだ始まったばかりだ。
日本から欧州へ飛び出し、競争を恐れず上を目指し続ける若きストライカーが、これからどこまで駆け上がるのか。
今回の代表初ゴールを一つのきっかけに、さらにゴールを積み重ね、日本代表に欠かせないFWへ成長してほしい。
塩貝健人のこれからの挑戦を、引き続き応援したい。
免責事項
本記事は、2026年9月25日時点で確認できる日本サッカー協会(JFA)、横浜F・マリノス、VfLヴォルフスブルク等の公式情報、および選手本人・関係者への公開インタビューや各種報道をもとに作成しています。
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