サッカーのイングランド代表とアルゼンチン代表による対戦は、国際サッカーを代表する「因縁の対決」の一つです。両国は隣国同士ではなく、日常的に対戦する地域ライバルでもありません。それでも、1966年ワールドカップの退場騒動、1982年のフォークランド/マルビナス紛争、1986年のディエゴ・マラドーナによる「神の手」、1998年のデビッド・ベッカム退場、2002年の雪辱と、対戦のたびに歴史へ残る事件が起きてきました。
ワールドカップでは2022年大会までに5回対戦し、イングランドが3勝、アルゼンチンが1勝、1試合が引き分けとなっています。ただし、引き分けた1998年大会ではアルゼンチンがPK戦を制しており、決勝トーナメントでの勝ち上がりという点では両国が互いに相手を敗退させてきました。
イングランド対アルゼンチンが因縁の対決とされる理由
両国の対戦が特別視される最大の理由は、サッカー上の判定や退場を巡る不信感と、国家間の政治的対立が重なっていることです。イングランド側には「神の手」や1998年の退場に対する苦い記憶があり、アルゼンチン側には1966年大会で不当に扱われたという意識や、フォークランド/マルビナス紛争の記憶があります。
さらに、両国はともにサッカーを国民文化の重要な一部として捉えています。ワールドカップ優勝経験を持つ伝統国同士であり、対戦回数が比較的少ないからこそ、一つ一つの試合と事件が長期間にわたって語り継がれてきました。
イングランド対アルゼンチンのワールドカップ対戦成績
| 大会 | ラウンド | 結果 | 主な出来事 |
|---|---|---|---|
| 1962年チリ大会 | グループステージ | イングランド 3-1 アルゼンチン | 両国初のワールドカップ対戦 |
| 1966年イングランド大会 | 準々決勝 | イングランド 1-0 アルゼンチン | ラティン退場、試合後の発言を巡って対立 |
| 1986年メキシコ大会 | 準々決勝 | アルゼンチン 2-1 イングランド | マラドーナの「神の手」と「5人抜き」 |
| 1998年フランス大会 | ラウンド16 | 2-2、PK戦4-3でアルゼンチン勝利 | ベッカム退場、オーウェンのゴール |
| 2002年日韓大会 | グループステージ | イングランド 1-0 アルゼンチン | ベッカムが決勝PKを成功 |
| 2026年大会 | 準決勝 | 試合前 | 24年ぶりのワールドカップ対戦 |
※PK戦による決着は公式記録上、試合自体は引き分けとして扱われます。
両国のサッカーには歴史的なつながりがある
アルゼンチンのサッカーは、19世紀に同国へ渡った英国系移民や鉄道関係者、教育関係者によって広められました。1891年には英語名の「Argentine Association Football League」が最初のリーグ戦を開催し、その後のアルゼンチンサッカー発展の基礎となりました。
そのため、英国はアルゼンチンにとってサッカーを伝えた「教師」のような存在でもあります。一方、19世紀から20世紀前半にかけて英国の資本や企業がアルゼンチンの鉄道、貿易、産業へ強い影響を及ぼした歴史もあり、両国関係には文化的な親近感と反発が共存してきました。
英国から伝わったサッカーをアルゼンチンが独自の技術と文化によって発展させ、その発祥国を倒すことには、通常の代表戦以上の象徴的な意味が加わりやすかったと考えられます。
1962年大会|最初のワールドカップ対戦はイングランドが勝利
両国がワールドカップで初めて対戦したのは、1962年チリ大会のグループステージです。イングランドはロン・フラワーズ、ボビー・チャールトン、ジミー・グリーブスの得点で3-1と勝利しました。
この時点では、後年のような激しい因縁が完成していたわけではありません。しかし、南米の技巧派であるアルゼンチンと、サッカー発祥国イングランドという異なる文化を持つ強豪同士の対戦として注目を集めました。
1966年大会|ラティン退場で両国の対立が決定的に
現在まで続く因縁の出発点とされるのが、1966年イングランド大会の準々決勝です。ウェンブリー・スタジアムで行われた試合は激しい展開となり、前半にアルゼンチン主将のアントニオ・ラティンが退場を命じられました。
当時は現在のようなイエローカードとレッドカードが導入されておらず、ドイツ人主審とラティンの間には言葉の壁もありました。ラティンは退場理由に納得せず、数分間にわたってピッチを離れることを拒否。試合は長時間中断しました。
数的優位となったイングランドは、後半にジェフ・ハーストが決勝点を挙げて1-0で勝利しました。しかし、アルゼンチン側では判定が開催国に有利だったとの批判が強まり、この試合が「世紀の強奪」と表現されることもあります。
試合後にはイングランド監督のアルフ・ラムゼイが選手同士のユニフォーム交換を止め、アルゼンチン選手を厳しく批判した発言も問題となりました。イングランド側はアルゼンチンの荒いプレーと抗議を非難し、アルゼンチン側は主審と開催国から不当に扱われたと反発。両国の間に長く残る不信感が生まれました。
この試合で退場の意思が選手や観客へ十分に伝わらなかった混乱は、警告と退場を色で示すイエローカード、レッドカード制度が考案される契機の一つにもなりました。
フォークランド/マルビナス紛争が対戦に政治的意味を加えた
両国のサッカー上の対立を、国家的な因縁へ変えたのが1982年のフォークランド紛争です。英国ではフォークランド諸島、アルゼンチンではマルビナス諸島と呼ばれる南大西洋の島々を巡り、英国とアルゼンチンは以前から主権を争っていました。
1982年4月、アルゼンチン軍事政権が諸島を占領し、英国のマーガレット・サッチャー政権は機動部隊を派遣しました。戦闘は74日間続き、同年6月にアルゼンチン軍が降伏して英国側が諸島を再掌握しました。
戦争ではアルゼンチン軍関係者649人、英国軍関係者255人、島民3人が死亡しました。アルゼンチンの敗戦は軍事政権崩壊を早める要因となり、英国ではサッチャー政権の支持回復につながりました。諸島の主権問題は現在も解決しておらず、アルゼンチンは外交的な主権要求を続けています。
サッカーのイングランド代表は厳密には英国代表ではありませんが、国外からは英国を象徴する存在として見られやすく、アルゼンチンではイングランド戦に紛争の記憶が投影されることがあります。
1986年大会|「神の手」と「5人抜き」が生まれた歴史的一戦
フォークランド/マルビナス紛争から4年後、両国は1986年メキシコ大会の準々決勝で対戦しました。政治的緊張が残る中で行われたこの試合は、マラドーナによる二つの対照的なゴールによって、ワールドカップ史上最も有名な一戦の一つとなりました。
後半6分、マラドーナはイングランドGKピーター・シルトンと空中で競り合い、左手でボールに触れてゴールへ押し込みました。主審はハンドを確認できず得点を認定。マラドーナが試合後に語った表現から、この得点は「神の手」と呼ばれるようになりました。
その約4分後、マラドーナは自陣からドリブルを開始し、複数のイングランド選手を次々にかわして2点目を記録しました。後に「5人抜き」や「世紀のゴール」と呼ばれるこの得点は、個人技によるワールドカップ史上最高クラスのゴールとして評価されています。
イングランドはゲーリー・リネカーの得点で1点を返しましたが、アルゼンチンが2-1で勝利しました。アルゼンチンはその後も勝ち進み、決勝で西ドイツを破って優勝しています。
マラドーナは後年、イングランド戦の勝利にはフォークランド/マルビナス紛争への雪辱という感情があったと振り返りました。もちろんサッカーの勝利が戦争の犠牲を埋め合わせるものではありませんが、アルゼンチン国内では国家的な誇りを回復する象徴として受け止められました。
一方、イングランドでは「神の手」が重大な誤審と不正の象徴として記憶されました。一つの試合で、反則による得点と歴史的なスーパーゴールを同じ選手が決めたことも、物語をより複雑で強烈なものにしています。
1998年大会|ベッカム退場とPK戦による敗退
1998年フランス大会のラウンド16では、両国が再び歴史的な試合を演じました。アルゼンチンはガブリエル・バティストゥータのPKで先制しましたが、イングランドもアラン・シアラーのPKで同点に追いつきました。
その後、18歳のマイケル・オーウェンが高速ドリブルから鮮やかなゴールを決めてイングランドが逆転。しかし、前半終了間際にアルゼンチンが巧妙なフリーキックを成功させ、ハビエル・サネッティの得点で2-2としました。
後半開始直後、デビッド・ベッカムがディエゴ・シメオネに倒された後、倒れた状態から足を出して報復。主審はベッカムにレッドカードを提示しました。シメオネの反応が大きかったことから、イングランドではアルゼンチン側が退場を誘ったとの批判も起きました。シメオネも後年、ベッカムの行為を利用したことを認めています。
10人となったイングランドは粘り強く戦い、終盤にはソル・キャンベルがネットを揺らしましたが、直前のプレーがファウルと判定されて得点は認められませんでした。試合は延長戦を終えて2-2のままPK戦へ入り、アルゼンチンが4-3で勝利しました。
敗退後、ベッカムにはイングランド国内から激しい批判が集中しました。若手スターの退場とPK戦敗退が重なったことで、1998年の対戦も両国の因縁をさらに深める一戦となりました。
2002年大会|ベッカムがPKで4年前の雪辱
2002年日韓大会では、両国がグループステージで対戦しました。イングランド、アルゼンチン、スウェーデン、ナイジェリアが入ったグループは、大会屈指の激戦区と見られていました。
前半終了間際、マイケル・オーウェンがマウリシオ・ポチェッティーノに倒され、イングランドがPKを獲得しました。キッカーを務めたのは、1998年大会で退場したベッカムでした。
ベッカムは強烈なシュートを中央付近へ蹴り込み、イングランドが先制。その1点を守って1-0で勝利しました。4年前に敗退の原因として批判されたベッカムが主将として決勝点を挙げたため、イングランドでは「雪辱」や「名誉回復」を象徴する試合として語られています。
優勝候補と見られていたアルゼンチンは、その後スウェーデンと引き分けてグループステージ敗退となりました。イングランド戦の敗戦が、アルゼンチンの早期敗退へ大きく影響しました。
2005年の親善試合も劇的な展開に
両国が2026年大会以前に最後に対戦したのは、2005年11月にスイスのジュネーブで行われた親善試合です。アルゼンチンはエルナン・クレスポとワルテル・サムエルの得点で2度リードしましたが、イングランドがウェイン・ルーニーの得点で追走しました。
試合終盤にはマイケル・オーウェンが立て続けに2得点を挙げ、イングランドが3-2で逆転勝利しました。親善試合でありながら高い緊張感と劇的な展開となり、両国の対戦が通常の親善試合とは異なる空気を持つことを改めて示しました。
なぜ両国の対戦は今も特別なのか
イングランドとアルゼンチンの対戦には、単純な勝敗だけでは説明できない物語があります。1966年にはアルゼンチン側に判定への不信感が残り、1986年にはイングランド側に「神の手」への怒りが残りました。1998年にはベッカム退場、2002年にはそのベッカムによる雪辱があり、同じ選手や事件が次の対戦へつながる連続した物語を生み出しています。
政治面では、フォークランド/マルビナス諸島を巡る主権問題が現在も続いています。ただし、試合を実際に戦う選手や監督は、政治とスポーツを切り離し、相手への敬意を示す発言をすることが一般的です。因縁を歴史として理解することと、現在の選手やサポーターへ敵意を向けることは区別する必要があります。
両国のライバル関係が特別なのは、頻繁に対戦するからではありません。対戦回数が少ないにもかかわらず、退場、誤審、スーパーゴール、PK戦、政治的背景といった強烈な出来事が集中しているからです。
2026年大会で24年ぶりのワールドカップ対戦
2026年ワールドカップでは、イングランドとアルゼンチンが準決勝で対戦します。両国がワールドカップで顔を合わせるのは2002年大会以来24年ぶりで、通算6回目となります。
イングランドが勝てば、2002年大会に続くワールドカップでの連勝となります。アルゼンチンが勝てば、1998年大会以来となるイングランド撃破と、2大会連続の決勝進出が決まります。
1966年のラティン退場、1986年のマラドーナ、1998年のベッカム、2002年の雪辱に続き、2026年大会でも新たな歴史が刻まれることになります。両国の準決勝は、決勝進出を懸けた大一番であると同時に、60年以上にわたる因縁の最新章として世界的な注目を集めます。





